TOMOKO OOSUKI

イラストレーター オオスキトモコのブログです。

May 8, 2022

【5/4の日記 その2】
兵庫津ミュージアムにあった地図で、神戸にも大仏があるということを知った。
なので、行ってみることにした。

この辺の街は平清盛推しがすごく、ステーキ屋さんにも「清盛セット」があった。
すごいね(「飛苑」という店のメニューです。)

途中にあった寺にも入ってみた。全然知らなかったけど「清盛七辯天」っていうのと、「兵庫七福神」というのがあるみたい。
清盛七辯天とは、平清盛福原京を作るときに、大輪田泊の守護として勧請(分祀して招き入れて祀った)神々たちらしい。

私は実は福原京の存在をわりと最近まで知らなかったのですが(少し前に、兵庫区平野のほうに用事で行ったときに、なんでこの辺はやたら清盛推しなんだろう?と思って調べて初めて知った…)、こうして知識を得つつ、実際に歩いてみると、平清盛は、かなり本気で神戸を都にする気だったんだなという感じがする。福原京計画の前に、和田京も作ろうとしてたみたいだしね。
結局、福原京は半年で終わってるけど…10年くらいは住んでるし、神戸を気に入っていたのかな。

兵庫大仏は、知らんかったけど日本三大大仏の1つらしい(他の2つは奈良の東大寺の大仏、鎌倉大仏
私はまだ奈良の大仏も行ったことないので、そのうち行ってみたい。

兵庫大仏と同じ寺に平清盛のお墓があった。願掛けの気合いがすごい

そして神戸事件の結末の解説があった。要するに、近代〜現代的な考え方をすれば「実行犯」である瀧善三郎にすべての責任を負わせ、「切腹させる」ことで神戸事件を解決とさせたのである。

要するに神戸事件というのは日本の武家社会の常識(いちおう明治政府になってから起きた事件だけど、そこまで一般市民の意識は急には変わらない)と欧米の常識の違いから起きた事件なんだけど、その辺のいろいろの最終的解決として「実行犯を処罰する」、しかし「武士の名誉を保つ形で」という形を取ったということである。これによって日本は、国際社会に向けては「日本は開国して、これから近代国家になるんです!!」というPRをすることに成功した。当時外国人に一部占拠されていた神戸の街も、植民地化を防ぐことができた。しかし瀧善三郎は犠牲となった。犠牲となった瀧善三郎はこうやって「英雄化」した。ということである。
う〜ん…

つづく