TOMOKO OOSUKI

イラストレーター オオスキトモコのブログです。

【Road to アタック25】第23話 クイズについての身の上話 失われた20年 の巻

(2018年2月28日)
クイズについての身の上話(すごく長いです)

こないだの日曜日に、メディア向けクイズ体験会があった。
この「メディア向けクイズ体験会」はその名の通り、メディア関係者でクイズを体験する会である。

↓参考:【Road to アタック25】第12話 そういえば「メディア向けクイズ体験会」から全てがはじまったんだな〜という話

petitmatch.hatenablog.com

私は昨年の4月末の会に初めて参加した。その時のインスタを、人を誘うためにリンクを送ろうとして、久しぶりに見返した。

https://instagram.com/p/BTWwTjZFEkT/
去年の私は、
アタック25の予選落ちの人がかなりすごかったんだけどこれで予選落ちならテレビ出てる人はどーなってんだと思った…」
と書いていた。まさか1年もたたないうちに、自分がその「テレビ出てる人」になるとは、そのときには露ほども思っていなかった。とても不思議な気持ちになった。

そもそも私は、クイズが好きだった気持ちを、ずっと長い間、忘れていたのである。

私は、クイズ番組を見るのが好きな子供だった。
私が子供の頃には、アメリカ横断ウルトラクイズクイズダービークイズタイムショッククイズ世界はSHOW by ショーバイ!!、FNS1億2000万人のクイズ王決定戦、ギミア・ぶれいく史上最強のクイズ王決定戦など、たくさんのクイズ番組があった。

特に年に一度、日本テレビ(熊本だと熊本県民テレビ)の「木曜スペシャル」で4週連続放送されていた、「アメリカ横断ウルトラクイズ」の、特に第15回が本当に好きだった。

bunshun.jp

↑この記事で、しみけんさんが話している、第15回ウルトラのドミニカ共和国で、私も能勢一幸さんのファンになった。

これを見て、当時小学生だった私は、
「大きくなったら、一橋大学のクイズ研に入って、ウルトラクイズに出る。」
と思った。
(能勢さんが一橋のクイズ研OBだから)
そんであわよくば能勢さんと結婚する!!!とか思っていた。

小学6年のときに転入した小学校で、Kくん(仮名)という男の子と出会う。Kくんとは、同じく転校生だということで、仲良くなった。

Kくんとは中学も同じで、Kくんはギミアぶれいくのクイズ問題集とかを読んでいた。私もクイズ好きなので、交代に問題を出し合って遊んだりしていた。Kくんは成績もよくて、頭がいい人が行く塾に通っていた。
その塾だか、塾がやってた模試だかで、Kくんは、中学生ながらFNSかギミアぶれいくか?の筆記を通過したという、かなり凄いクイズ少年のNくんに出会う。

そしてある日、KくんからNくんの話を聞き、「3人で一緒に熊高(熊本で一番偏差値が高い高校、高校生クイズ常連校)に入って、高校生クイズに出よう。」と誓い合う。(当時の高校生クイズは、3人で応募しないといけなかったのです。)

が、時は1993年、バブル崩壊の影響は、じわじわと迫っていた。ウルトラクイズがなくなることが決まり、クイズ番組も、どんどんなくなっていった。しかも、高校受験にも失敗。😭
入った高校では、クイズ仲間を見つけることができなかった。それもあって、やる気を失ってしまった。
高校時代のクイズ活動?は、Kくんとゲーセンに行って「子育てクイズ マイエンジェル」をやる程度。

その後、しばらくクイズのことは、すっかり忘れていたが、上京して、大学入学した年に、ウルトラクイズが復活する。でも、大学でも一緒にウルトラに行くような友達はいなかった。
復活ウルトラクイズは、ハガキ出したら当たったので、東京ドームには行けたけど、ドームで敗退。

一方、Kくんは、東京の大学に入学し、大学のクイズ研に入ったものの、理由はよくわからないけれど、学校に行かなくなり、留年してしまい、結局退学して、実家に帰ってしまった。その前後にいろいろとあって、Kくんとも連絡を取らなくなってしまった。

それ以来、私はクイズに対する熱意や興味を、全く失ってしまっていた。しかも、クイズが好きだったことすらも、ここ20年くらい、忘れていたのである。

40歳を手前にして、人生でこんなことが起きるなんて、よくわからないものである。本当にメディア向けクイズ体験会には、感謝しかない。

Kくん、まだクイズに興味あったら、アタックを見てくれるかなぁ。
そして書いてて気づいたが、実は未だに、Nくんには面識がないままなのだよね…どうしているんだろう…

つづく

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