TOMOKO OOSUKI

イラストレーター オオスキトモコのブログです。

プロフェッショナルやさいの流儀・戦後70年特別編〜【後編】戦後の食料安定と、「相互理解」の重要性

突然ですが…今日は終戦記念日ということで、自分が聞いた戦争経験者のお話の記事をUPします。
*この記事は、4年前(2015-01-17)に前のブログ(エキサイトブログ)で書いたものの転載です。
https://petitmatch.exblog.jp/23562257/

petitmatch.exblog.jp

板木利隆先生(農学博士・板木技術士事務所)のお話です。
詳しいプロフィール→ http://jv-ikubyou.com/12komon.html
以前「プロフェッショナルやさいの流儀」で取材させていただいた記事はこちらです
https://petitmatch.exblog.jp/17333610/

petitmatch.exblog.jp

【前編はこちら】

petitmatch.hatenablog.com
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【後編】戦後の食料安定と、「相互理解」の重要性
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千葉農業専門学校卒業後、千葉農業専門学校の助手を数年やったあと、
昭和29年(1954年)神奈川県園芸試験場へ。

神奈川県園芸試験場では、品種を作ったり、ビニールハウスの研究をしたりしていた。
時は高度経済成長期。
1966年、「野菜生産出荷安定法」が制定される。
https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=341AC0000000103

elaws.e-gov.go.jp
*野菜の安定的な供給の確保のため、「指定野菜」を常に一定量作るようにするというもの。

野菜の安定出荷のためには、ビニールハウス栽培等の「施設栽培」の技術は重要であった。
昭和48年(1973年)オイルショックが起きる。
石油製品であるビニールや、ハウスの暖房のために石油を使っていた
ビニールハウスの研究は、世間から総スカンをくらい、叩かれることとなる。

そこで板木先生は「相互理解」の重要性を知る。
生産者、研究者、消費者が、互いに理解しあわなければ、
こういうことになってしまう。
生産者のために研究をするだけでなく、
一般の人に研究をわかってもらうことの必要性を強く感じた。

「プロフェッショナルやさいの流儀」で取材させていただいたプロの皆さんと私

自分の研究内容が、現場に普及するのが大切だと思っている。
それで先生は、研究もたくさんされていますが、
たくさんのご著書も書かれ、講習会も積極的に行なったり、
自ら情報を発信することを大切にしているそうです。

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【前編はこちらです】
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後編は戦争というか「戦後」の話です。
板木先生のお話を伺ったとき、先生のキャリア(考え方)には、
戦争が深く関係していると感じました。
農業高校に進んだのも「食べ物が確保できると思ったから」だし、
基本的には「より多くの人が生きのびるためにはどうすればいいか」
という発想で研究をされていて、
やはりベースは「戦争経験」(戦争と、戦争から立ち直るまでの経験)にあるのではないかなと…
戦争経験者がどんどんいなくなっている今、
そのことを書き、伝えていくことが重要なのではないかと思いました。
そこで今回、板木先生のご許可も得て、ブログにUPしてみました。

今後、戦争がなくても、
「自分は何を食べるのか、それをどう確保していくのか」の問題は
人間が生きていく以上、常に考えないといけない問題だと思うので、
私も消費者として、生産者・研究者への理解を深め、
よりよい食環境が得られるよう考え、行動していきたいと、改めて思いました。

*この記事は、2013年の「プロフェッショナルやさいの流儀」展で
「取材写真アルバム」に入れてた文章と同じものです。
https://petitmatch.exblog.jp/18931996/

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