【2021/08/29 最終更新】
- デジタル庁note2回目記事への圧倒的絶望
- 「独自定義」の「アクセシビリティ」について書かれた「自己満ポエム」
- noteは「多くの人が使っているサービス」ではない
- スタートアップ界隈の内輪ノリとnoteの「信者とお仲間ビジネス」、今の「お友達政治」は相性が良い
- そもそも内容にも誤りが?
デジタル庁note2回目記事への圧倒的絶望
先日、デジタル庁(準備中)のnoteについて、下記のような記事を書きました。
私はこの記事において、noteは、デジタル庁が利用するツールとして、不適切なのではないかと思う理由3点について書きました。
1・noteはインターネットアーカイブに残らない仕組みになっているので、公的機関の発信手段として適さないのではないか。
2・会員登録しないとコメントができない仕組みは、note株式会社(以下、note社)への利益誘導に当たるのではないか。
3・note社は、あまりにも問題が多すぎる。官庁の情報を発信する媒体の運営会社として、全くふさわしくない。また、「誰一人取り残さない、人に優しいデジタル化」というデジタル庁の精神とも反する。
1本目のnoteの更新後、Twitterでこのような予告がありました。
STUDIOとnoteのアクセシビリティのお話は、次回のnoteで私から、ご説明する予定です。 #デ https://t.co/4hiEOKJSL1
— shosira / Shoji Ohashi (@shosira) 2021年5月13日
なので、2本目のnoteでなにか説明があるのかと思ったのですが…
digital-gov.note.jp(↑2021/8/29 デジタル庁noteのドメイン変更のため、リンクを貼り替えました。)
正直、圧倒的に絶望してしまいました。もう次回以降は、読まないことにします。
前回もひどかったですが、次回以降もこの調子なのであれば、読む時間がもったいないです。
「独自定義」の「アクセシビリティ」について書かれた「自己満ポエム」
結局、デジタル庁が指す「アクセシビリティ」というのは、「独自定義」のものだったようで、あまり期待していた「アクセシビリティ」についての説明はなく、さらに、私が最も疑問に感じていた、2と3については、全く触れられていませんでした。
この記事への反応を見ていても、全体の印象としては、note社長によるトラブル連続時の言い訳ポエムや、noteで人気の人にありがちな、
→信者とお仲間は大絶賛
→それ以外の読者はドン引き
(*そもそも、日本国民の大多数の人は、その記事の存在自体も知らない)
の流れが、見事に踏襲されたもので、「noteの悪いところ」を凝縮したような記事だと言う印象を強く受けました。
私は、広く一般の国民への説明として、これでいいんだとデジタル庁が認識していることに、本当にガッカリしました。
この文が、一体何を言ってる文なのか理解できる人って、日本人の何割いるんでしょうか。また、長すぎる上に、レイアウトも読みにくく、目次もありません。
本当に「アクセシビリティ」について、真剣に日々考えていたら、こういう文章にはならないはずだと思います。
というかアクセシビリティ以前に、noteの機能をそもそも理解してないのでは?機能を理解していないのに、選定したんでしょうか?という印象を受けました。
国民は俺様たちが言ってることはわからなくていい、これが俺様たちの「アクセシビリティ」だ!というメッセージは、よく伝わってきました。
noteは「多くの人が使っているサービス」ではない
また、noteは「多くの人が使っているサービス」ではないですし、そこもまたおかしな話だなと感じました。noteの登録ユーザー数は、2021年3月時点で約380万人です。
ちなみに、はてなの登録ユーザー数は、2021年1月末時点で約1,121万人です。
日本の人口は、今年6月現在で、1億2547万人です。
参考:noteとはてなのユーザー数・月間ユニークブラウザ数比較
STUDIOの説明はまだ理解できるのですが、なぜ「利用者が少ない」noteをわざわざ採用することが「アクセシビリティを向上させようと努力されている皆さんの後押し」になるのかは、全く理解できません。なぜnoteを採用したのかの理由には、全くなっていないのでは…
なぜ利用者が少なく、アクセシビリティに乏しく、しかも昨年から問題が続出し、「多くの利用者」が不安に陥ったサービスを、わざわざデジタル庁が使ってあげる必要があるのでしょうか。単に「その界隈」の「お仲間」の間だけで、「多くの人が使っているサービス」なだけではないでしょうか。
デジタル庁noteに求められていた「説明責任」や「透明性」とは、主にこの部分についてであったと思います。
Twitterの反応(2021/06/24追記)
STUDIOやnoteは自ら企業努力でアクセシブルにすべきであって、税金が基盤の組織が、不透明に2社に肩入れして機能開発を促すというのが、いかにもデジタル庁だなという感じ。
— Yu Morita (yuu) (@securecat) 2021年6月23日
そもそも論として、官公庁はもとからアクセシビリティを高める努力をしている企業やサービスを評価し、支援すべきだろう。 https://t.co/8vcYXQMFfh
スタートアップ界隈の内輪ノリとnoteの「信者とお仲間ビジネス」、今の「お友達政治」は相性が良い
しかしこのnoteによって、私は、今の政治・行政そのものが、noteのような「信者とお仲間ビジネス」に支配されているということを、透明性高く示しているものであると受け取りました。
「お仲間」が儲かれば or「信者」が喜べばそれでいいんだ!という現在の「お友達政治」と、noteというプラットフォームが持つ価値観やビジネスモデルは、非常に相性が良いのでありましょう。また、いわゆるスタートアップ界隈の「内輪ノリ」とも…
そういう「雰囲気」を明確に可視化したという点では、まさに「価値ある発信」であると言えるのでは、という印象を受けました。
Twitterの反応(2021/06/25追記)
なぜnoteとSTUDIOなのかっていうのをきちんと説明しないと、トップがトップだけに、これも収賄なのかとか噂されたりもしうると思う。ぶっちゃけ2社とお友達なんだろうしね。行政の透明化、民主主義の根幹としてのアカウンタビリティ、自ら掲げるも向き合わない。ほんと不誠実だよ君ら。 #デジタル庁
— Yu Morita (yuu) (@securecat) 2021年6月23日
デジタル庁noteから受ける印象は、徹底して「不誠実」というのがまずある。次に「国民のことをばかだと思ってんだろうなあ」ってのがある。専門用語を並べてけむに巻こうとしているようにも見える。透明化と向き合ってもいない。そしてIAを名乗ることでIAを貶めてさえいる。本当に悔しい。 #デジタル庁
— Yu Morita (yuu) (@securecat) 2021年6月23日
大学で少しデザインを勉強しただけの私でも「自己満ポエム」と感じる内容なのだから、長年に渡りwebアクセシビリティに真剣に向き合ってきた同業者の方の屈辱感は、計り知れないものなのだろうと拝察されます。
そんな中、デジタル庁・平井大臣に新たな疑惑(2021/06/24追記)
そもそも内容にも誤りが?
前回も思ったのですが、デジタル庁noteは誰もチェックしないで配信されているのでしょうか…
参考:公的機関の情報公開・個人情報保護・公文書管理の制度問題に取り組むNPO法人「情報公開クリアリングハウス」のツイート
https://t.co/4iX37SXCjp 「この「行政文書」の定義は、2011年の公文書管理法の施行後は、公文書管理法に移されています。」 移されていません。情報公開法にも定義はあり、公文書管理法がその定義をそのまま使っているだけです。なんでこういう説明になるのかなあ…
— 情報公開クリアリングハウス/Access-info Clearinghouse Japan (@johokokai_ch) 2021年6月22日
「個人的には、「検討結果や過程を公表する」ためだけにウェブサイトを用いるのであれば、官報、白書、新聞、雑誌、書籍のような公表物として整理するほうが、コンテキスト上もデータが既に公知のものになっている性質上も適切」というのは、公表物は行政文書から外すということ?
— 情報公開クリアリングハウス/Access-info Clearinghouse Japan (@johokokai_ch) 2021年6月22日
ちなみに「官報、白書、新聞、雑誌、書籍」などは、行政文書の定義から除外されています。そして、noteは「行政機関はその意思決定過程をオープンにすることが義務付けられたのです。なぜデジタル庁が「プロセス」を重視しているかを遡ると、情報公開法や行政手続法がその背景にあるのですね。」と続く
— 情報公開クリアリングハウス/Access-info Clearinghouse Japan (@johokokai_ch) 2021年6月22日
いやあ、意思決定過程の本当のところがオープンにならないので、苦労しているんですが…。そして「プロセスを開示するためには、意思決定過程に関する文書を適切に管理し、保存する必要」で公文書管理法ができたというのも、実際にそうなっていないので苦労しているんですけど…
— 情報公開クリアリングハウス/Access-info Clearinghouse Japan (@johokokai_ch) 2021年6月22日
noteは公文書管理法まで「日本の行政機関ではバラバラの基準で行政文書を管理・保管していました。さらに、その保存対象は(端的にいうと)意思決定結果の文書であり、意思決定過程文書を作成し保存していくことを義務化してはいなかった」と続くけど、情報公開施行令で管理せよとなっていたんですけど
— 情報公開クリアリングハウス/Access-info Clearinghouse Japan (@johokokai_ch) 2021年6月22日
この状況をnoteは「(多少ややこしいですが、公開するように定めるだけでは、「たまたま文書があれば出します」ということにしかならないわけですね)」と評していますが、何でこういうことになるのかなあ。たまたまではなく、行政文書は管理し、その該当性が争訟の対象になったんですよ
— 情報公開クリアリングハウス/Access-info Clearinghouse Japan (@johokokai_ch) 2021年6月22日
「デジタル庁が大切にしたい、アクセシビリティとアカウンタビリティ」https://t.co/4iX37SXCjp を読んで、デジタル庁がどんな行政機関になるのかあれな感じがしますが、意思決定過程の透明性とアカウンタビリティを旨とするなら、ぜひ皆さん、デジタル庁関係は徹底して情報公開請求していきましょう
— 情報公開クリアリングハウス/Access-info Clearinghouse Japan (@johokokai_ch) 2021年6月22日
誤解の内容に付け加えますと、noteやSNSで行政機関が発信したり、ウェブサイトを従来と異なる方法で構築してアクセシビリティを挙げること自体は歓迎しています。そして、生煮え状態でも発信してくれると、認識の歪みや屈折がよく見えるのでこれも歓迎しております
— 情報公開クリアリングハウス/Access-info Clearinghouse Japan (@johokokai_ch) 2021年6月22日
要は、個人批判をするということではなく、認識の歪みや屈折、そして正しいことをしているという独善感が、組織の構成員にあるならばそこで行われる政策判断や決定はそういうものがベースになって出てくるので、それを織り込んでみるべきということですね
— 情報公開クリアリングハウス/Access-info Clearinghouse Japan (@johokokai_ch) 2021年6月22日
「デジタル庁がどんな行政機関になるのかあれな感じがしますが、意思決定過程の透明性とアカウンタビリティを旨とするなら、ぜひ皆さん、デジタル庁関係は徹底して情報公開請求していきましょう」というのは、本当その通りだと思いました。
もはやこの先は、報道機関の皆さんの出番だと思います。