TOMOKO OOSUKI

イラストレーター オオスキトモコのブログです。

【Road to アタック25】第17話 知らなかった母の過去 の巻

(2018年1月24日)
母はインフルエンザA型であることがわかり、その後、約1週間、我が家に滞在した。
(夫も1週間会社を休みました…)
4日めを過ぎると、熱も下がり、元気になってきた。
1日寝ていることにも飽きたようで、別室で仕事してる私に、母から話しかけてきたりなど、しはじめた。

そろそろ、アタックのことを話していいかも…
と思い、雑談の合間に
「あのう、お母さん、今まで言ってなかったんだけど…
私、アタック25に出ることになった。」
と伝えた。

母は、

「よかったね!」

「お母さんも、だいぶ前だけど、予選に受かったんだよ。
呼ばれなかったけどね。」

えっ!!!!!!!!!!!!!!!!!

私「えっ お母さんって クイズとか好きだっけ…?」

詳しく母に話を聞いてみると…

・母がアタック25予選会を突破したのは2001年。
その年、弟が大学に入り、父は単身赴任になり、
いきなり一人暮らしになって、世話をする相手がいなくなり、
母は急に暇になった。
(私は1998年から大学進学で上京しています)
・そんなとき、熊本では応募者が少ないのか?テレビで「アタック25予選会が熊本にやってくる!」
みたいなCM?があって、 熊本に来るなら行ってみようかな〜と思った。
・母の仲いい友達が、アタック25の大ファンなので、出てみよっかな〜ひまだし と思った。
・アタック25は、見ていても、問題は割と簡単だと思うので、大丈夫だと思った。
(すごい、私はわかるのは半分くらいだし、実際に面接でもそのように答えました…)
・予想通り(?)筆記は突破し、面接も突破、1年間の出場資格を伝えるハガキも届いたが、
番組からの電話は、かかってこなかった。

と いうことらしい。

父も弟も、今まで知らなかったらしい。というか
あまりにも昔すぎて、母も自分で忘れてたらしい。

母のお友達は、私がアタックに出ることを聞いて
「娘が母の意思を受け継いでくれたのね〜!!」
と盛り上がっているらしい。母本人は、忘れていたのにね…

意図せず、「バースデーカード」みたいになってきたぞ。
(母は死んでないですが)

つづく

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